DV夫との別居〜離婚調停の記録

物忘れ激しすぎるズボラ人間の亀速備忘録

自分を殺す

なにも話が進まない!

別居から早2ヶ月経つものの進展なし

もう春になるんですけどーーーーー!!!

 

本題に入ります。

旦那はいわゆるモラ夫なので、無意識のうちに自分を殺していたな〜と気が付きました。

 

私は白と黒を除く好きな色が割とハッキリした色で、例えば赤、ボルドー、って感じで服やコスメはそんな色が多かったんです。

ある日、旦那と出かけようとマゼンタのセーターを着たら「俺より目立つ格好は気に食わない!」と言われました笑

私は好きな色を身に付けたいだけで「目立ちたい」わけじゃない。

それでも旦那が「俺より目立つな」というので、旦那が文句を言う色の服を一緒に出かける時に着るのは控えるようになりました。

 

私はメイクも好きなんですが、出かける前にメイクをしていると「早くしろ。どうせブスなんだから何しても変わらない。」「まだ待たせるなら置いていくぞ。」「出かけるのをやめるぞ。」と言われ、メイクもベースと眉毛とアイライン程度しか出来ませんでした。

 

そうやって少しずつ自分の「好き」を失って、自分を殺すようになっていきました。

別居した今、好きな色を身に付けて、好きなメイクを満足にできて幸せです。

思い出した旦那の迷言 番外編①〜③

端的に申し上げますと離婚が保留になりました。

4月入園は見送り…最悪職場復帰出来ぬまま退職かなと考え始めました。

無職は嫌だ〜〜〜!!!

 

今回は旦那の迷言の番外編と称して義母の迷言をご紹介します。

 

①結婚当初 喧嘩して旦那のご飯を作らなかったことがあったとき

「コンビニ弁当でもほか弁でもいいから買って用意してあげて」

は?コンビニでもほか弁でもいいなら自分で買えばよくね?

仕事帰りにコンビニ、スーパー、ほか弁、ファストフードあるじゃん。

 

②上と同じとき

「ぽっぽちゃんがご飯を作らない話を私(義母)のママ友にしたらね、『そんな嫁殺してやりたい』って言われたのよ〜」

これはもう返す言葉もなかった。

確か適当に愛想笑いして返したような気がする。

この発言はどういう意図でしたのだろうか…

なんにせよ義母ママ友も義母もおかしい。

このときからマジで義母が無理になりました。

 

③産後初めて喧嘩して義家族が仲裁?に来たとき

「別にね、私は離婚してもいいと思ってるのよ」

わ〜〜!!!すごいこと言い出した…

私もそう思ってましたよ。奇遇ですね!

仲裁役で来たと言いながらこれ言うってなに?

そう思ってるなら仲裁になんて来るなよ。

ってか仲裁して欲しいなんて頼んでねえし。

 

 

モラ旦那の母もモラ!

親が親なら子も子です。

私は一生この人たちとは分かり合えない。

早く離婚させてくれよ〜

面会交流が辛かった

確か離婚したばかりの頃は月1くらいで面会交流をしていました。

よく覚えていませんが、お祭りに行ったり、一泊?で東京に行ったりしたような気がします。

歳を重ねていくにつれ、習い事を始めて時間がなくなったり、自分なりに父との関わり方を考えるようになったり、面会交流は無くなりました。

 

正直私にとって面会交流はストレスでした。

その主な理由を挙げます。

 

・母の悪口を聞かされる

私にとって1番身近な存在である母の悪口を聞かされることは苦痛でしかありませんでした。

どんな顔をしたらいいのか、どんな返事をしたらいいのか分からない。聞きたくない。

でも反論もできない。情けない、悔しい。

 

・母に隠し事をするように言われる

これもとにかく苦痛。おしゃべりでなんでもすぐ母に話していた私に「秘密」というものは重かったです。

なんで母に言っちゃいけないのか分からない、でもそう言われたし…どうしたらいいのか分からない。でも秘密だから誰にも言えない。

大好きな母に隠し事をする、というのはとにかく後ろめたくてモヤモヤしました。

 

・どう接していいのか分からない

別居を始めた当時4歳。物心ついて間もないときだったので、父と生活していたときの記憶はほとんどありません。

それでも父であるという認識はある。

だからこそ困ったのです。

当時人見知りが激しかった私は、父とロクに話せません。というかどう話したらいいのか分からなかったのです。

父だけど、母のように共に生活しているわけではないし、母方の叔父ほど仲もよくない。

だから敬語で喋るのはおかしい気がするけど、タメ口で喋るのは馴れ馴れしい気がして、どうやって話したらいいのか分からない。

距離感が掴めないから話せない、動けない。

そんな状態で丸一日の面会交流。

ストレスじゃないわけがない。

 

上記3点が面会交流がストレスだった主な理由です。

 

このことを私が母に言えたのは成人してからです。大したことじゃないと思う方もいるかもしれませんが、私にとっては重く、辛いことだったんです。

みんながみんな、私のようじゃないかもしれない。でも、もしかしたら私のような辛さを感じているお子さんがいるかもしれません。

信頼している親がそばにいない状況で1日出かけるなんて、子どもからしたら物凄い大変なことだな、と大人になって思うようになりました。

私のように苦しい気持ちをひとりで抱える子が減ることを願います。

 

追記

面会交流に反対しているわけではありません。

ただ子どもなりにこういう辛さもあったということを知って欲しいだけです。

私の昔話

2つくらい前のブログで触れましたが、私自身、離別親家庭で育ちました。

親権者も同居親も母。3つ上の兄もいますが、兄も同様です。

 

離婚の経緯は正直よく知らないので書けませんが、家の居心地が悪くなり始めたのは賃貸から一軒家に越してからだった気がします。

賃貸時代は父母兄と私、兄より前からいる犬1匹。

一軒家に越してからは上記にプラスで父方の祖母、父方の伯父(父の弟)、伯父の犬×2匹が増えました。一軒家に引っ越したのは私が3歳くらいのときでした。

母の話によると、どうやら元々は父母兄私と犬のみの予定だったそうです。

祖母のことはよく覚えていませんが、私が産まれた時「女なんか産んだって仕方ないのに」と言ったらしいです。なので産まれた時点で嫌われていたみたい!(この一言は長く私の心に突っかかり続けることになります。)

伯父もなんだか変な人でした。「嫌い」という感情だけは確かに残っています。母と兄の話によると、兄(当時小1?)は理不尽に叱責された、コーヒーをかけられた、鍋を投げつけられたそうです。振り返ればどう考えても虐待。

虐待は兄にだけではなくて、元々うちにいた犬も被害に遭っていたそうです。とても穏やかで可愛い犬でした。

今振り返るといいとは言えない家庭環境だったと思います。

引っ越してから1年経ったかな?くらいで両親が別居、その半年後くらいに離婚したそうです。

思い出した旦那の迷言⑥〜⑩

前回の誤字修正致しました。

今回も思い出し迷言をちょっと書き留めておきます。

今回から時系列はぐちゃぐちゃになります。

 

⑥3ヶ月くらい前

「なんで俺がお前の生理用品を買わなきゃいけないんだ。」

え?

私が育休中は家賃も生活費もあなたが払う約束ですからね。

 

⑦いつだか忘れちゃったけど喧嘩したとき

「お前は息子のことばっかりで、俺のことを全然大事にしてない!」

その言葉、そっくりそのままお返しします。

なにより私は息子のママではあるが、あなたのママじゃない。勘違いしないで欲しい。

 

⑧キレた旦那が夕飯をひっくり返し、そのとき汚れたカーペットをお風呂場で洗ったので、排水口が詰まったけど、放置されたので私が洗ったことを伝えたとき

「俺はそんなこと頼んでない!」

ひっくり返した時に「俺が片付ける」って豪語したんですから、最後まで責任持って片付けてください。

頼まれてなくてもそれをやらないとお風呂も入れない、シャワーも浴びられないからね。もしかして知らなかったのかな?

えらそうに言ったくせに、カーペット実家に持って帰って義母に洗ってもらったのもウケる。

コインランドリーでもいいし、クリーニングでもいいじゃん。往復2時間かけてわざわざ実家に持っていくなよ。

 

⑨2ヶ月前くらい

私が生理痛で辛いのにお風呂も寝かしつけも代わってくれないことに文句を言ったとき

「俺の母親に頼めばいい!」

いや、あなたがいるじゃない。あなたも親じゃない。

夫婦2人で助け合えばできることじゃないんですか?

昼間生理痛に耐えつつ息子と外遊びをし、夜は旦那がいるからちょっと休めるかな〜って期待した私が馬鹿でした。

 

⑩これは口癖

テレビ見て「ここ行きたいな〜」みたいなこと私が言うと

「俺は彼女と行こうかな」

は?そういうことを言うから信頼関係が無くなるんだよ。

冗談でも言っていいことと悪いことの区別もできないんですね。

極めつけに「こうやって言ってるうちは本当に浮気しないんだよ」ですって。そういう問題じゃないから。

 

普通に生活してると、ふとした瞬間にフラッシュバックのように旦那の迷言を思い出してしまって、とても嫌な生活です。

早く離婚したいなあ…

 

思い出した旦那の迷言①〜⑤

結婚〜現在に至るまでの旦那の迷言をご紹介していこうと思います。

ふとした瞬間に思い出すのでちょっとずつ…

 

①結婚前

「(私のお腹の子について)俺の子かどうかなんて分からない」

デキ婚で結婚したのですが、私は浮気なんてしていないので間違いなく旦那の子です。

 

②妊娠33週頃

息子が逆子だったのですが…

「逆子が治らないのはお前の努力が足りないからだ!」

と言われました。

妊婦さんなら誰しも可能なら帝王切開より、経膣分娩したいと思いますよね。勿論私も例外ではありませんでした!

まだ逆子でもそんなに心配しなくていいと産科の先生から言われたし、自分に大丈夫だと言い聞かせつつも、内心このままだったらと物凄く不安でした。そんな妻に言うセリフですかね?

※逆子体操もしてました

 

③同時期くらい

「どうせシングルマザーになるんだから子どもの名前はひとりで考えればいい」

え???

言葉を失いましたね。

今なら笑い飛ばせますが、当時は悲しくて仕方なかったです。

 

④同時期くらい

「お前の親と同じようにシングルマザーになればいい」

私の母もシングルマザーなんです。それでも何不自由なく育ててくれた母をとても尊敬しています。思春期には喧嘩したこともありますが、今もすごく仲良しで、私の一番の理解者だと思ってます。

そんな母を侮辱されたと思いました。

旦那からしても義理の母のはずなんですがね〜

 

⑤臨月

「俺は産んでくれなんて頼んでない」

臨月ですよ?

かなりショックを受けたと言うか、唖然として言葉を失いました。

 

とりあえずパッと浮かんだ旦那の迷言でした。

 

旦那が家を出て行った!①

私と旦那は結婚から1年半ほど、息子が生まれてから1年弱になりますが、数えきれないほど喧嘩をしてきました。

喧嘩の中で殴る、蹴る、平手打ちといった所謂暴力行為があり、息子の面前で行われることも数知れず。

日常的には二人称として「ブス」「デブ」と言われたり、「お前はなにもできない」「頭が悪い」などの暴言を言われたりしていました。

暴力は身体的DV、暴言は精神的DV、どちらも立派な人権侵害です。

息子の面前でのDVは虐待行為にあたります。

しかし、旦那にその自覚はなく、直そうともしません。流石に耐えられなくなり、今回の騒動?喧嘩?に至りました。

そんな私の別居!?離婚!?騒動の備忘録です。

 

2019年12月1日

元々なんでか忘れたけど数日前から喧嘩、11月30〜12月1日に私は友達のところへ泊まりに、旦那は息子(1歳)を連れて義実家に泊まりに行っていました。

家を出る前もほぼ会話はナシ。帰ってきてもナシ。

 

12月2日

夕方?夜?旦那と1時間くらい口喧嘩。

完全に別居or離婚ムード

結果、旦那が服とか最低限の荷物を持って出て行きました。

私は経済的な問題もあり、まだ離婚する気はない。

1人じゃどうしたらいいのかよく分からないので、電話で離婚経験者の実母に相談。

実母は仕事終わりに来てくれて、愚痴や今後の相談、今までのことを話しました。

 

12月3日

実母とは、とりあえず実家に引っ越した方がいいという話に。

気持ちも落ち着いて、昼過ぎに実母は帰りました。

実母が帰ってから電話で引越し業者2社に訪問見積もりの依頼。

 

旦那は夕方仕事終わりに荷物を取りに来た。

そして「結婚指輪を返せ」というので返しました。まだ分割支払い中(笑)

そして「家は解約するから今月中に出て行け。養育費とか今後のことは弁護士入れて話し合おう。」といって、その日は家を後に。

 

12月4日

午前中、郵便局へ行き、郵便の転送依頼。

自分の分だけでなく、息子の分も依頼。

初めて転送依頼しましたが、特に住所の確認、本人確認、親子関係の確認はありませんでした。

 

午後は訪問見積もりが2社来ました。

後から来た業者にちょっと強めの値段交渉をし、無事安くしてもらってお願いすることになりました。

ダンボールを頂いたので、合間を見て荷造りの開始です。

 

実母から連絡があり「知り合いの弁護士さんに相談する時間を作ってもらったから、明日◯時に◯◯に来られないか?」と言うことで、急遽弁護士相談が決まりました。

 

夕方にはまた旦那が荷物を取りに来ました。

今度は「いつ離婚届書くの?」と。

弁護士さんとの相談もあるから、ここは下手に喋らない方がいいと判断したので「すぐには決められない。」の一点張り。

旦那は実家にいるらしく、「実家から職場に通うのが大変だ!俺はお前と違って仕事をしているから大変なんだ!」と主張してきました。

この後に及んで呆れます。ばかです。

とにかく返答を急かしてくるので「明日相談に行くから、今後どうするかは明日連絡する。」と言って帰ってもらいました。

例えその気があっても「離婚する意思がある」と明言してしまうと、今後何か不利になりそうな気がするのでそれは避けました。

 

旦那が帰ったあとには、LINEを遡ったり、カメラロールを見たりして、弁護士さんに話すDVの事実集め。

過去に殴られて顎にアザができた写真、リビングをめちゃめちゃにされたときの写真は撮ってありました。

私の旦那のように暴力行為を繰り返す場合、アザができれば診断書を取るべきでした。これに関しては私が甘かったです。

それから日記もつけておくべきした。

私はTwitterをやっているので、そこからもDVの記録を発見することができました。

もし、知り合いや他人にDVされていることは知られたくない、または手書きの日記はめんどくさい…という方は、Twitterでフォロー、フォロワーゼロの鍵アカウントを作ってつぶやくというのはありかなと思いました。

とりあえず、最低限の記録をコピー用紙に書いて、その日は寝ました。

 

続きはまた書きます。