DV夫との別居〜離婚調停の記録

物忘れ激しすぎるズボラ人間の亀速備忘録

面会交流が辛かった

確か離婚したばかりの頃は月1くらいで面会交流をしていました。

よく覚えていませんが、お祭りに行ったり、一泊?で東京に行ったりしたような気がします。

歳を重ねていくにつれ、習い事を始めて時間がなくなったり、自分なりに父との関わり方を考えるようになったり、面会交流は無くなりました。

 

正直私にとって面会交流はストレスでした。

その主な理由を挙げます。

 

・母の悪口を聞かされる

私にとって1番身近な存在である母の悪口を聞かされることは苦痛でしかありませんでした。

どんな顔をしたらいいのか、どんな返事をしたらいいのか分からない。聞きたくない。

でも反論もできない。情けない、悔しい。

 

・母に隠し事をするように言われる

これもとにかく苦痛。おしゃべりでなんでもすぐ母に話していた私に「秘密」というものは重かったです。

なんで母に言っちゃいけないのか分からない、でもそう言われたし…どうしたらいいのか分からない。でも秘密だから誰にも言えない。

大好きな母に隠し事をする、というのはとにかく後ろめたくてモヤモヤしました。

 

・どう接していいのか分からない

別居を始めた当時4歳。物心ついて間もないときだったので、父と生活していたときの記憶はほとんどありません。

それでも父であるという認識はある。

だからこそ困ったのです。

当時人見知りが激しかった私は、父とロクに話せません。というかどう話したらいいのか分からなかったのです。

父だけど、母のように共に生活しているわけではないし、母方の叔父ほど仲もよくない。

だから敬語で喋るのはおかしい気がするけど、タメ口で喋るのは馴れ馴れしい気がして、どうやって話したらいいのか分からない。

距離感が掴めないから話せない、動けない。

そんな状態で丸一日の面会交流。

ストレスじゃないわけがない。

 

上記3点が面会交流がストレスだった主な理由です。

 

このことを私が母に言えたのは成人してからです。大したことじゃないと思う方もいるかもしれませんが、私にとっては重く、辛いことだったんです。

みんながみんな、私のようじゃないかもしれない。でも、もしかしたら私のような辛さを感じているお子さんがいるかもしれません。

信頼している親がそばにいない状況で1日出かけるなんて、子どもからしたら物凄い大変なことだな、と大人になって思うようになりました。

私のように苦しい気持ちをひとりで抱える子が減ることを願います。

 

追記

面会交流に反対しているわけではありません。

ただ子どもなりにこういう辛さもあったということを知って欲しいだけです。